大阪は、阪神の優勝カウントダウンが始まり、道頓堀は厳戒態勢です。
一昨年、6000人以上が飛び込み、死者まで出した戎橋(ヒッカケ橋)は、3mのフェンスが出来ているそうです。
道頓堀ダイブのうんちくネタを知り合いからいただきました。
ものすごい、へぇ〜話でした、私にとっては。あなたはいかが?
その話というのは・・・
そもそも、道頓堀ダイブがあれほどの熱狂をみせたのは、、、、
いまから遡ること20年前、そう1985年、阪神タイガースが21年ぶりの優勝を飾りました。(その前は1964年、昭和39年っちゅーから新幹線開業、東京オリンピックの年やで)
【へぇー】
そのとき、入社したてのペェペェのディレクターでだったFさんは、特命を受けて、大阪の街に録音機材を持ってインタビューに出かけました。
その時に行ったのは、梅田界隈。各局もほとんど梅田の阪神百貨店界隈で街頭インタビューをしてました。
その時、阪神ファンの聖地とされていたのは、JR大阪駅(当時は国鉄)と阪神百貨店を結ぶ、陸橋の阪神百貨店側の階段の下付近です。
ここは、甲子園球場から帰って来たファンが六甲下ろしを歌う場所として有名だったんです。(この時は、神宮球場でのヤクルト戦だったのですが)多分、ファンは
梅田周辺に集まるだろうという読みで、各在阪局は、梅田周辺を張っていたのです。
で、もちろん、梅田周辺は大騒ぎだったのですが、その時「道頓堀に飛び込んだ奴がおるぞ!」という情報が入って来たのでした。
その時もスタッフみんな「アホやなぁ〜」と、笑っていただけ。新聞ネタにもなっていなかったような。
【へぇー】
では何故、道頓堀ダイブがこれだけの名物行事になってしまったのか?
それは、その時にあの有名なカーネルサンダース事件が起こっていたからです。
これも、その時はどうってことのない、酔っ払いの不埒な行為としてしか話題に
ならなかったのです。
それが、優勝した85年の後、またず〜っと阪神が低迷し、バースが帰り、
掛布が引退し、、、と、ダメトラに戻ってしまった時に、あの朝日放送の
名物番組「探偵ないとスクープ」が、「カーネルサンダーズの呪」を解く為に、
道頓堀川を大捜索したことから、道頓堀ダイブが人々に認知され出したのです。
【へぇー】
だってそうですよね。もし、あの当時から大騒ぎだったら、いくらなんでも
カーネルサンダースの人形を放り込もうとしたらマジで捕まりますもんね。
【ほぉ】
そして、1992年。この年は、新庄と亀山がブレイクした年でもあるのですが、
何故か突然、優勝争いをするくらい調子がよく、ヤクルトと最後まで争ったのでした。そして、甲子園での最終戦で勝てば優勝だったのに、負けてしまったのです。
そのとき、悔し紛れにみんなが道頓堀に飛び込んだのが、世の中に正式に認知される道頓堀ダイブの始まりです。
【へぇー】
このときは在阪局すべてが、川べりにカメラを構えて待っていたのでした。
そして、2002年6月、大阪の長居競技場でのW杯の予選リーグの対チュニジア戦
に日本が勝ち、予選リーグ突破を決めた瞬間、道頓堀は大騒ぎになり、翌2003年の阪神優勝で6000人超が飛び込むバカ騒ぎへと発展したのでした。
今回、さすがにこれだけ厳重な管理の中で飛び込む人はいないと思いますが、また、別のところで、また大騒ぎをすることになり、またそこから新たな伝説が
生まれることでしょう。
・・・というお話でした。
関西にいながら、昔のこの話も知りませんでした。。。
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